2015年02月23日

「市場→大規模小売店→郊外専門店への変遷①」

「成住壊空」のシステムは宇宙の森羅万象の全てに当てはまる。
言い換えて言葉に書けば、生まれ→成長→壊れ→無くなる、であり、
それは永遠に繰り返す。

先日和歌山大学大学院観光学研究科の田中正人氏、竹田茉耶さん、
新田有紗さんを中心で「防災」の事で聞き取り調査をうけた。
その中で、竹田さんから船尾市場はいつごろから衰退したのかと聞かれた。
朧気ながら覚えていたものの、記憶が定かでないので、調べてみた。

先ず、わたしが小さい頃には海南に映画館が、
洋画のオリオン、中央と二つ。
邦画が海映、東映、大映、朝映の四つ。
合計六館がありました。
3本立てで50円。
映画館は超満員で、よく舞台の上で観たのを覚えております。
それが相次いで無くなった。

駅前にも、昭南工業、日東妨、笠野染工など大きな会社があった。
しかし閉鎖になり、その跡地にジャスコ海南店が進出(1967年(昭和42年)。
更に海南ココ店が設置される。
これらはスーパーの大型店舗であり、
大規模小売店舗は百貨店のみの時代は終わりをつげる。
価格の安いスーパーに対し、
百貨店は高級な品物を取り扱う店としてハンドルを切らざるを得なくなる。

海南では船尾市場、栄通り商店街、中央市場が栄えていたが、
ジャスコ海南店・ココ店が進出すると共に衰退。
今までの店での営業を止め、テナントとしてジャスコ海南店・ココ店に入る方もあった。

今では船尾市場が近隣の高齢者のニーズとなるべく、
数件の店舗が営業をするだけとなった。
コロッケの富士屋さん、八百屋の田村さんが店を閉めた。
あと2軒が閉めると聞いている。
2軒の内の1軒は、今の船尾市場の集客の中心の店舗で、
ここが店を閉めると船尾市場はもう終わる。

さて、ジャスコ海南店・ココ店の出店は、
社会が徐々に車社会への移行が始まっていた時期に当たる。
これ以降、急激な車社会がやってくる。
市場はその役割を徐々に終え、淘汰される。
 
結論は②へ続く




         文責:syun

        後日修正加筆あり


  


Posted by 黒江の町並み景観づくり at 15:32Comments(0)黒江のお店その他